2009年11月27日

政治活動に余念がない6人のノーベル賞受賞者

事業仕分けで科学技術関連の予算が削られるのに納得がいかないらしく、ノーベル賞やフィールズ賞の受賞者が公に事業仕分けを批判している。

事業仕分け:「科学技術立国に逆行」 ノーベル学者ら、緊急声明を発表(毎日jp)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091126ddm001010019000c.html

でも、ちょっと待て。
確かに科学技術への投資が必要なのは総論としては分かる。
しかし、事業仕分けは各論で個別の予算について評価するプロセスだ。
世界一のスーパーコンピューターは国の財政を顧みずに追い求めるような価値がある話じゃないだろう。各事業にどれだけの価値があり、どれだけ効率的に予算を使えているかという話だ。

総額として投資が減ってしまうのは、研究者側で有意義なプロジェクトを企画できていない、効率的に予算を使えていないからじゃないだろうか。

なんて思っていたら加藤さんがするどく反論していた。
頑張れ、加藤さん!

事業仕分け:刷新会議は野依さん批判「議論、知りもせず」(毎日jp)
http://mainichi.jp/select/science/news/20091127k0000m020118000c.html

ああ、ノーベル賞やフィールズ賞の受賞者が政治活動をするのはまったく問題ないです。
どんどんやって欲しいと思います。
でも、賞の威光で自分の業界の都合を押し付けるような主張は賞の栄誉に傷を付けかねないので注意は必要でしょうが。
posted by naotok at 01:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

政治活動に余念がない捜査当局

首相への偽装された献金についての報道が過熱している。
今日は一斉に母親の資金が数千万円程度、例の偽装献金に混ざっているという報道がされている。

首相献金疑惑:実母から数千万円の資金 答弁と矛盾(毎日jp)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091125k0000m010142000c.html

「関係者の話で分かった。」そうだ。何の関係者だろう?
そのような情報を持ちうる関係者は、母親か鳩山事務所か捜査当局の関係者しかありえない。
前二者が鳩山氏に不利な情報を流すとは考えにくい。仮に流したとしても、記者会見ならまだしも匿名の情報源として各メディアに一斉に情報を流すのは無理だ。
やはり、捜査当局がネタ元になっている疑いが濃厚だ。

では、捜査当局の意図は何か。犯罪を捜査し、起訴して有罪判決を得ることが本来の目的であるが、守秘義務に違反してまでこのように情報をリークすることが捜査の進展に寄与するのだろうか。
メディアを煽り、国民の関心を引きつけて、鳩山首相にダーティーなイメージを付与することで、鳩山政権に対して影響力を行使しているだけのように思える。
とすれば、これは官僚による公権力を使った政治活動である。職権濫用であり、由々しい問題だ。
第4の権力たるマスコミの権力監視の機能を首相に発揮するのは当然だが、検察に関しても入念に監視していただきたい。

また、検察においては作為的な情報のリークは厳に謹んで、粛々と事件を捜査し起訴立件していただきたい。起訴できないような事件でメディアを騒がせるのは卑怯千万である。
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2009年11月22日

経済成長の呪いもしくは経済成長という麻薬

民主党政権の政策批判の一類型として「経済成長のビジョンがない」というのが定着している。しかし、この批判は批判として成立しているかどうかについて考えてみる。

相当昔(多分20年くらい)の話だが、ニュースステーションで久米宏氏が「どんなに悪くなったって、日本の経済成長がマイナスになるわけはないんだから(そんなに深刻に考えなくていい)」といっていたのに対して酷く違和感を感じたことを今でも覚えている。
この発言には暗黙の前提として2つのことがある。「日本の経済は成長し続けて当然」と「経済成長がマイナスになるのは深刻な問題」ということだ。私はこれらの考え方は幻想に過ぎないと思っている。このような考えにそれほど正当性があるとは思えない。これらに捉われているのは呪いのように思える。

確かに戦後の日本社会は経済成長することによって多くの問題が解決されてきた。経済のパイが大きくなることで仕事のモチベーションは維持できた。頑張った者は報われ、引いては政情も安定した。
しかし、高度成長の時代は終わった。人口は、特に労働人口が減少を始めたことで生産力は低下する。ピラミッド型の社員分布を前提とした会社の人事体系は崩壊しつつあることで仕事のモチベーションも危機に瀕している。資本に国境が無くなったことで仕事はコストの安い海外に流出し、雇用が減少する。
経済成長は万能薬だったのだ。冒頭の民主党政権批判は「万能薬を寄こせ」と言っているのと同じだ。どうやら経済成長は常習性のある麻薬でもあったようだ。

そもそも、事業を効率化すると普通は労働分配率は下がる。
例を挙げよう。
1980年以降くらいに生まれた人は駅の改札は自動改札しかしらないだろうが、昔は駅員さん、つまり人間が改札に立って切符に鋏(はさみ)を入れたり、回収したり、運賃の清算もしていた。それも今の自動改札と同じか、若干早いくらいのスピードで。
有人改札は1970年ころから順次自動改札に置き換わっていった。
なぜか。
改札には人を置いておくよりも機械を置いておく方が経営効率が高かったからだ。平たく言えばの瞬時に運賃清算ができる熟練者の給料より機械の導入およびメンテナンスのコストの方が総合的に評価して安かったということだ。
自動改札の導入により人が削減されたかどうかは知らないが、改札業務という観点で見れば、人に払われていたお金が機械に払われるようになったということだ。これは労働分配率の低下に直結する。

このように機械化やIT化に代表される合理化は労働分配率の低下に繋がる。低下した分は株主配当と役員報酬に回される。「余剰人員は他の事業で活用できるから一概にそうとは言えない」という反論は詭弁である。他の事業で活用できないケースや、そもそも人が余っている場合の解決策にならない。しかし、会社が成長すれば、この詭弁で問題を解決することができた。
(実は、仮に「他の事業」で吸収したとしても、機械化がなければ「他の事業」の分の新たな雇用ができていたはずだ。その分だけ労働分配率は低下したと言えるので、本当は吸収できたかどうかは無関係だ。これがこの詭弁の本質である)

競争に負けないために、企業は絶えず合理化を進める必要がある。生産量が一定の条件下で合理化が進んで事業の効率が上がれば人員が余ってくるのは必然だ。余剰の人員を活用する他の事業がなければ余剰人員は経営の重しとなる。

このように、経済が成長しない社会で合理化が進めば、そこかしこで人員が余ってくる。これらの人も飯を食っていかなければならない。そこで、これらの人に分配するための仕組みとしてワークシェアリングとかベースインカムという考え方が出てきたのだろう。

経済成長という呪いもしくは麻薬を断って、今後の社会のありかたを考える時期に来ているのではないだろうか。
この立場から見ると冒頭の民主党政権批判は批判として成立しておらず、また筋が悪い。
逆に、新しい社会の基礎的な仕組みとしてベースインカムは効率的で非常に筋がいいと考える。
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判決は人を評価するのではなく罪を評価するもの

今日のサンデープロジェクトの死刑に関する特集で、滝井繁男元最高裁判事のインタビューがあった。制度として存在する以上、最高裁判事の職責として死刑判決を下さざるを得ない苦しい心境を語っていたが、その中で

「死刑判決を下すということは、その人には生きる価値がないという判断をするということですから」

という発言があり仰天した。
この人は、被告人の人としての価値を査定するつもりで判決を下していたらしい。しかも最高裁で死刑事件の裁判の裁判長としても判決を下している。

事実を認定し刑法に照らして罪を評価するのが裁判だと思っていたのだけど、私が間違っているのだろうか。
事件一つしか見ずにその人の価値を判断しようなんて僭越じゃないだろうか。
posted by naotok at 13:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

事業仕分けは通年化が望ましい

「事業仕分けは今年限りの措置」という鳩山首相のコメントは「何を言ってるんだろう」と思ったけど、「来年からは仕分けられた形で概算要求がされなければおかしい」とも言っているので、つまり「今回のように概算要求後に事業仕分けをするのは今年限りで、概算要求前に同等のプロセスは実施する」という意味だろうか。
評論家の山崎元さんが書いているように、通年化して全ての事業は年に一度は必要性を確認するプロセスを踏むべきだ。コストはかかるだろうけど、無駄なコストを削減するためには必要であり、合理性もあると思う。

参考記事
ダイヤモンドオンライン
「事業仕分け」をカイゼンしよう
posted by naotok at 23:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

市橋容疑者報道の不思議

市橋容疑者が報道で一時ののりぴー扱いになっている。
しかし、被害者がイギリス人とはいえ、2年も経ってから突然瞬間湯沸かし器のように報道が盛り上がって、連日情報が小出しにされ、程なく今日逮捕に至った。

逮捕目前に迫っていたから情報を小出しにして報道を盛り上げ、盛り上がったところで逮捕したのだろうか。
警察の功績をアピールするために?

のりぴーのときの押尾学側の政治家絡み話のように、何か世間の注目をそらしたい事件があったんだろうか。
鳩山首相の故人献金問題?
沖縄轢き逃げ事件?

気味が悪い。

参考記事
黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」
市橋達也報道の気味の悪さ
posted by naotok at 21:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

日本郵政斎藤社長は天下りなのか

日本郵政社長人事が天下りかどうかという話題が意外と長持ちしている。どうでもいい下らないことだけれども個人的な整理をしておきたい。


1.天下りか?
天下りをどのように定義付けるかに依存する。官庁を退職した元キャリア官僚が株式会社の役職に就くことを天下りというのなら、天下りであることは否定できない。
ただ、問題視すべき天下りとは何かと考えれば、元キャリア官僚の転職先が官庁の業務委託先などとして優遇され、競争を阻害することで財政の非効率化を招くものだ。
では、今回の日本郵政のケースはどうか。日本郵政はそのような優遇措置を受けていないだろう。今後、財務省でヤマト運輸との取引が禁止されるといったようなことがなければ、だが。

そもそも、政治主導で決まった人事を天下りとみなすことができるのだろうか、という疑問もある。役人が官庁の外にポストと税金が流れ込む仕組みを作って、そこに官僚OBが列を成して流れ込むのが典型的な天下りだが、このスキームの最大の問題点は責任を取るものがおらず、歯止めがかけられないことだ。
政治主導で行った人事が問題なのであれば、次の選挙で政権に審判が下るだけである。なので、今回の人事は百歩譲って天下りと認めたとしても、現時点ではなんら問題視するに及ばない。


2.日銀総裁のときと比べるとダブルスタンダードではないか?
確かに民主党は武藤前日銀副総裁が総裁昇格しそうになったときに猛反発した。財務省からの天下りとみなしたからだ。
日銀総裁や総裁周辺ポストに財務官僚OBが就くのは、日銀の独立性の観点で望ましくない。財政政策と金融政策の分離の話だ。
天下りだから問題だ、とした当時のロジックを好意的に解釈するなら、「典型的な天下りのようにポストが確保されている。これによって、日銀の独立性は慢性的に侵された状態が継続しているが、人事慣習を見直すことでこれを改善すべきである」といっていたのなら筋は通るだろう。
でも、うーん、そういう話を聞いた覚えがないから、やっぱりシンプルに天下り批判だったのかな。とすれば、ダブルスタンダードといわれても仕方ないだろう。この場合、素直に過去の方を反省すべきだ。


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posted by naotok at 00:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

「女」報道への違和感

(最初に断っておくが、本記事では詐欺事件で起訴されている被告の女性について擁護することを目的としていない)

結婚詐欺で逮捕起訴されている34歳の女性に関する報道が連日新聞などのメディアを騒がせている。たしかにワイドショー的に下世話な興味を引くネタなのだが、ひどく違和感を感じている。
違和感の原因は二つ。

1. 報道での呼称が「女」であること。
詐欺罪について起訴はされていて、被告は詐欺について容疑を認めているとのことではあるが、「○○被告」が通常の呼称だ。実名を出せない事情があるなら「女性」とすべきで、「女」という表現は蔑むニュアンスがあり不適切だ。

2. 情報が小出しに出てくること。
「遺書がなかった」「車の鍵がなかった」「練炭の着火器具がなかった」「女性の指紋がなかった」といった情報が毎日少しずつ出てくるが、練炭での不審死は8月6日の事件である。現場検証した時点で捜査当局は全て分かっていたはずの情報だ。情報源には、情報を小出しにすることで毎日の新聞ネタを提供し、世論の関心をあおる意図があるのではないか。情報源というのはもちろん捜査当局だ。


呼称の原因は報道の中心が不審死であることだろう。特にテレビの報道を見ると、「女性が殺害した以外に考えられない」と言わんばかりの編成をされているが、女性が逮捕起訴されている容疑は詐欺罪だけであり殺人罪の容疑は公式にかけられていない。公式に追及されない容疑について実名報道をすると名誉毀損に問われる可能性があるのだろう。

仮に殺人罪で追起訴されることになった場合、この事件は裁判員裁判の対象になるはずだ。それも死刑を争う重大な裁判となるはずだ。犯罪性のない経歴まで丸裸にし、不審死を女性の行為と決め付けるような過剰な報道姿勢は裁判員に予断を与えるおそれがあり問題だと思う。

そもそも、報道されている事実が明らかになっているにもかかわらず殺人罪で起訴しなかったのは、公判で殺人罪を立証するだけの証拠が足りないからなのだろう。

なので、この小出し情報による連日の報道合戦は、殺人罪を立憲できなかった検察当局による当てこすりか、それとも裁判員裁判を見据えた世論の印象操作なのか、どちらかなのだと思う。
いずれにせよ、検察および警察の捜査能力に疑問を感じさせる事件だと思う。証拠が足りないとしても、公判で勝ち目が薄いとしても、これだけの疑いがあれば正々堂々と立件するのが正義なのではないだろうか。
posted by naotok at 19:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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