2010年06月27日

選挙に向けて経済および税制について勉強したことのメモ

選挙を控え、消費税を10%に上げることが議論されている。それと合わせて法人税を減税すると民主党のマニフェストに書かれている。
このところ、主にvideonews.comと新書本やtwitterなどで仕入れた知識を整理するためにこの記事を書こうと思う。

自分のプロファイル
理系人間で、経済学については大学1年のときにミクロ経済学とマクロ経済学の基本を学んだような気がする程度。マクロ経済学はあまり理解できず、強い違和感を感じたことだけ覚えている。
思想的には新自由主義に近いと思う。経済活動、特に供給側の産業構造に行政が介入しても良くなることはないので、原則として介入するべきではないと思っている。
セーフティネットは必要だと思っている。また、20年くらい前から所得の分配について自由経済は欠陥を持っていると思っている。そういう意味で左派的だ。
そんな自分にとって、飯田泰之氏が現在最も共感を覚える論者だ。

民主党の参院選マニフェストの消費税増税は昨年の民主党の衆議院マニフェストと矛盾しない
自民党や公明党が盛んに「民主党の衆議院マニフェストと矛盾している」と喧伝しているが、これは誤解だろう。
民主党の衆院選公約は「任期中(最大4年間)は上げない」であり、参議員の任期は6年だ。衆院選から約1年経過しているので、4年目以降に消費税を増税するスケジュールならなんら矛盾はない。また、衆議院を解散すれば4年目を待つ必要はない。

では消費税増税は是か非か
自分は消費税を増税するのは避けられないと思ってはいる。課税ベースの広さと、他の諸先進国の税率に比べて低いので10%くらいまでの増税余地はありそうだと思うからだ。
ただし、無条件に賛成というわけではない。消費税よりも先に相続税の課税強化を行うべきだ。
また、消費税の逆進性を解決するために、インボイスの導入による生活必需品の非課税化、所得税の累進強化はセットになっていなければならない。
生活必需品に関して「還付」という話が出ているが、インボイスを導入すれば還付ではなくて、消費者視点での非課税化可能なはずだ。というのは、消費者に還付するのと小売業者に還付するのは論理的に等価(ただし金利は無視)だが、後者であれば消費者レベルでは非課税になる。また税務コストの観点でも圧倒的に小売業者への還付の方が効率がいい。なぜなら、還付対象が少ないからだ。
そう考えてみると、消費者への還付を印象付けるような語られ方が多いように思える(実はよく聞いてみると誰に還付するのか曖昧に語られているが)のがちょっと不安にさせるところだ。
消費者への還付ははっきり言ってありえない。それどころか、インボイスがあれば小売業者だけじゃなく、流通過程の上流まで非課税にできるんじゃないだろうか。

法人税減税の意味
消費税を上げる代わり(?)に法人税を減税する話が出ている。民主党の参院選マニフェストにも明記されている。これについて大きな懸念を抱いている。
会計的には法人税は「税引前当期純利益」に対して課税される。これは、仕入れ価格や管理コスト、人件費など企業活動の経費を全て差し引いた額である経常利益に特別損益を加えた値だ。
では、法人税が下がれば企業は雇用を増やすのだろうか。答えはNOだ。法人税が下がっても雇用を増やすインセンティブはどこにもない。単に「税引後当期純利益」が増えるだけだ。「税引後当期純利益」の一部は役員賞与となるが、残りは基本的に株主に帰属することになる。
つまり、政府の歳入から資本家に所得が移転するだけだ。
後で述べるが、経済全体として供給過剰になっているなら、来期以降の投資や人員増強の原資に回されることもない。
ちなみに赤字の企業は法人税と無縁なので、いまにも潰れそうな中小零細企業を救済するような効果はない。優遇されるのは利益が出ている企業だけだ。

法人税減税によって誘致した外資は雇用を促進するか
では、国境を越えて企業を誘致する効果はあるだろうか。それによって国内の雇用が伸びる可能性はあるだろうか。
このような効果は語られてはいるが、緻密な議論が見当たらない。
法人税を減税すれば外資が国内に投資するインセンティブにはなるだろう。これによって供給側の環境は改善するだろう。しかし、新しい産業が生まれなければ雇用は発生しないんじゃないだろうか。発展途上国なら外資の増加は工場の増加を意味するので、工場での雇用が生まれるが、この日本で外資を誘致してそれなりの規模の雇用が生まれるとは思えない。
法人税減税で喜ぶのは証券会社と投資家だけで、結局市民は泣きを見ると思う。

そもそも日本経済の問題は需要側にあるのでは?
20年来の疑問はこうだ。
「駅に自動改札が導入されたけど、切符を切っていたおじさんたちはどこへ行ったのだろう」
つまり、技術の進歩によって産業が資本集約的になれば、人件費に対する生産効率が上がる。これによって、労働に対する需要が下がる。
労働需要が下がれば給料も下がるはずだが、経済が成長する過程では新しい産業分野で絶えず労働需要が生まれることで給料が顕著に下がらなかったんだと思う。(これは、何の検証もしていないあくまで素人的の考えだ)
経済が成長しない時期になってもIT化などにより産業技術は進歩し効率化する。生産効率が上がったのに経済全体が成長していないと、供給能力が過剰になる。つまり、生産設備と人員が余剰となる。余剰となった人員が吐き出されることで、残った側の人間に富が偏っていく。
グローバル化による労働需要の流出がさらに拍車をかけるが、グローバル化は避けられない。
日本で起きているのはこういう状況なのではないかと思う。

需要不足を解消するには何が効果的か
上のような状況であれば、経済が成長しないのは需要が伸びないからだ。需要が伸びれば生産余力はあるのだから。
有効需要が不足した場合、古来から政府支出が有効だとされてきた。いわゆるケインジアンの考え方だ。これを根拠に日本ではあちこちに必要性が不明なダムができたり道路ができたり空港が公共事業として造られてきた。そして、これらは政治家や官僚の権力の大きな源泉となってきた。
一時的に需要が不足したのであれば政府支出は有効かもしれないが、慢性的な症状に対してカンフル剤を打ち続けるのは意味がない。こういった公共事業は即刻止めるべきだと考える。
そういう意味で民主党には期待したんだけど、どっかの国土交通大臣が最初は威勢がよかったのに何か尻すぼみで大いに不安な今日この頃。
さておき、ケインズの理論では減税と政府支出の効果の差は限界消費性向によるとされている。政府が支出(G)すればそのままそっくりGDPの加算され、さらに乗数効果が加わるが、減税(T)で増えた可処分所得は一部が消費されずに貯蓄された後で乗数効果が加わる。最初に貯蓄に回された分だけ損するという理屈だ。この貯蓄される比率に関わるのが限界消費性向だ。例の管財務相(当時)がハメられた国会質問の件だ。
では、意味のない公共事業がこの理屈で正当化されるのだろうか。最初の政府支出GがそのままGDPに加算され、減税Tが貯蓄に回された後からの計上によって1周分だけ損するのは単にGDPの計算上の約束事に過ぎない。「政府支出Gは経済活動から発生した需要でないからGDPに加算すべきでない」とか、「減税も政府の支出と見做せば1周目を加算してもいい」といった議論もできるはずだ。
つまり、政府支出それ自体によるGDPの増分には意味がない。
また、公共事業は支出先を決める権限が政府にある。これは大きな権力源泉になるし、権力者の恣意性により経済に大きな歪みを与える。競争が制限されるので効率的でもない。そして土建業に偏って生産能力の余剰が温存されていくのだ。

高所得者層から低所得者層への再分配が最も重要
低所得者より高所得者の方が限界消費性向は低い。つまり、高所得者からX円徴税して低所得者に同額を補助すれば、全体として消費は増える。つまり需要を増やすことができる。
残念ながら自由経済にはこのような所得分配のリバランスのような機能はない。この機能は政府が賄うしかない。
最も効率的にこの機能を行うのは所得税の累進強化とベーシックインカムだろう。ベーシックインカムは一律に税金を還付する制度なので、還付時の資格確認などにかかるコストが格段に安い。また、権力源泉にもならない。支出先は市民が個々に決めるので官僚が経済を歪めることもない。
ベーシックインカムがあれば、仕事がなくて住みにくくなった田舎も、物価が安いという理由で住むインセンティブが生まれる。これによって地方に人が分散すれば地方が活性化し、新しい経済が生まれる。
低賃金の派遣労働でもベーシックインカムとあわせて生活できればいいのだから、派遣労働を禁止する必要もなくなる。
仕事すると生活補助が受けられなくなって貧困になるといった逆説的な問題もなくなる。
このような考えからベーシックインカムには大いに期待している。
高速道路の無償化もベーシックインカムとの相性がいい。
財源と境界条件と導入シナリオがベーシックインカムの難しいところだが、それこそ優秀な官僚の腕の見せ所だろう。

デフレについて
最後にデフレについて触れたいと思う。
デフレが何で問題かというと、政策金利をマイナスにすることはできないから、デフレが発生すると金融政策が効かない状態(流動性の罠)になるからだという。
しかし、需要が伸びず、技術が絶えず進歩していれば供給がダブついて物価が下がるのは当り前なのではないだろうか。
確かにデフレが、ローンなどの借金を抱える低年齢層から、金融資産を抱える高年齢層に実質的な所得移転の効果があることは問題だと思うので、1〜2%くらいのマイルドなインフレが継続するのが望ましいのだろう。
これについて日銀が十分にマネーを供給しないからだと批判し、責任を指摘する声が多い。勝間和代氏が急先鋒で、高橋洋一氏や飯田泰之氏もこの立場だ。
確かに貨幣を供給すればインフレが起こり、結果的に物価は上がるかもしれない。日銀が「これからは国民一人当たり無条件で毎年100万円配ります」とかってすればさすがにインフレになるだろう。また、この条件なら少子化対策にもなりそうだ。
でも実際にはこんなことはできないだろう。じゃ、結局どうすればいいという議論なのかがよくわからない。日銀がマネーを供給しようにもマネー需要がないからデフレなんじゃないだろうか。
「日銀が知っている」とか「インフレ率をコントロールする方法を知らない人が中央銀行の総裁になってはいけない」とかいう曖昧な話でなく、具体的にどういうシナリオがあるんだろうか。
政府が100兆円の政府発行紙幣を発行して日銀に交換させて、その金を国民に100万ずつ配ればいいのだろうか。あ、これじゃ日銀がインフレを起こしたことにならないか。

消費税の還付に関する追記
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2010年04月07日

量刑の問題

以前に死刑の議論をしたときに量刑の問題は難しいといって意図的に避けた。今でも感覚は変わらない。
中国で日本人が死刑になり、立て続けに4人の日本人の死刑が執行されるという。いま話題の中心に上がっているのは、薬物犯罪で死刑を執行される死刑囚についてだ。他の人がどういう犯罪で死刑になるのかは知らない。

率直に言って薬物犯罪の最高刑が死刑であるのは重すぎるように感じている。これは、殺人もしくは国家叛逆行為が伴わないと死刑が適用されない国で育ったから、自分の国の制度を基準にしてしまっているからだと思う。
確かに薬物犯罪は重要だ。特に流通部分に関わった場合の社会的影響は大きい。反社会組織の資金源となることで彼らの活動をサポートすることになるし、薬物により人生を狂わせてしまう人(自分から狂わせる人もいれば、搦め手で狂わされる人もいる)も多数生むことになるだろう。

だから尺度によっては殺意を持って人を殺した罪よりも反社会的という主張も成立するとは思う。
とはいえ、薬物犯罪の最高刑を死刑とする中国、インドネシア、シンガポール、スリランカ、タイ、バングラディッシュ、マレーシアの制度が正しいとも思わない。
やっぱり量刑の議論は難しい。結局、順序付けすら感覚の問題で、更に線引きに至ってはどうにも議論のしようがないと思う。

(中国における日本人の死刑執行については量刑の妥当性以外にも多数議論すべき点はあるけど、ここでは取り扱わない)
posted by naotok at 22:42| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

終身死刑制度と死刑執行猶予制度

「終身死刑」とは自分が以前にこのブログで提案した刑罰だ。
受刑者が希望しない限り死刑が執行されないという刑罰である。死刑および終身刑を若干緩和した刑罰であり、無期刑の上位刑罰になる。
ちゃんと書いてなかったかもしれないが、死刑執行までは懲役に服すべきだろう。

「死刑執行猶予制度」とはジャーナリストの江川紹子氏がブログで提案されている制度だ。
http://www.egawashoko.com/c006/000311.html
受刑態度によって死刑の執行が猶予されるという。これも死刑を緩和した制度だ。

でも、死刑の執行猶予はすなわち命の裁量なので運用が不可能なほどに難しいと想像する。裁判所以外にそのような重責を負えるとも思えないし、一人の受刑者に対して定期的に判断しないといけないのは負担が大き過ぎると思う。

やはり、終身死刑がよいと思う。

あと、videonews.comで安田弁護士が出演されている回の動画を購入した。でも、まだ見ていない。氏の弁護活動は間違いなく賞賛に値するので、氏の死刑に対する考え方にも非常に興味がある。
iPodに入れられればいいんだけどね・・・なんとかしてよ @tjimbo

2010/3/13 追記
posted by naotok at 01:10| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

当ブログは攻撃を受けたようです

1月23日0時15分ころ、ウェルダン○○と名乗る方からコメントをいただきました。この方はネット上に実在するようですが、おそらく他人に名前を騙られただけだと思いますので、伏せ字にします。
あまり主張のない不思議なコメントだったので放置していたのですが、ホームページのリンクが付与されていたのでクリックしたところchromeが警告を出しました。
リンク先は妙なページではありましたが、世間一般への悪意があるページでも無さそうなコンテンツでしたので、攻撃者にクラックされて攻撃スクリプトをロードするように改竄されたページだと思われます。

貼られていたページは openwiki_netii_net というところでした。なお、ここではリンクとして無効になるようにピリオドをアンダースコアに置き換えています。試してみる方は十分にVMなどでセキュリティに配慮した環境を用意することを勧めます。
dom_waa_pl (ポーランド?)や www_000webhost_com や analytics_hosting24_com というところからスクリプトをダウンロードするようです。
ググってみると、掲示板とか色んなところにこのopenwikiのURLが脈絡なく貼られているようです。
攻撃を受けた場合の被害は不明ですが、御用心下さい。

なお、本人からのコメントではなさそうでしたので、問題のコメントは先ほど削除しました。

ちなみにGoogleのコメントはこちら。いつまで有効なリンクか分からないけど。
http://safebrowsing.clients.google.com/safebrowsing/diagnostic?site=http://openwiki.netii.net/index.php&client=googlechrome&hl=ja
posted by naotok at 22:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

マクロとミクロの経済学と政策

明けましておめでとうございます。
今回もコメントエントリーです。今日は池田先生のこちらの記事へのコメント。
ミクロ経済学の常識(池田信夫blog part2)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51340379.html

マクロとミクロが断絶している経済学のあり様は大学生だった頃(15年くらい前)からの疑問だったので非常に興味を持った記事なのだが、「例題」がいまいちと思う。
表面的にはそういう答えになるのはどれも分かるけど、一面的であったり浅すぎるように思えるものがかなり混ざっている。

家賃(住居の賃貸規制の強化)については一次的な影響として借り手の不利益はもちろんある。しかし、同時に貸し手の不利益もあるはずであり、双方の譲歩によりどのように均衡するかを推定する議論は単純ではないはずなので、一方的に「借り手が困る」とは言えない。

高速道路無料化については、通行料の無料化だけで考えるのは浅すぎでそれこそお話にならない。山崎氏の主張に個別具体的に反論する必要がある。ただ、民主党も高速道路無料化の本来の意義を理解していないように思えるが・・・

山崎養世の日本列島快走論
http://www.yamazaki-online.jp/kaisoron/index.html

教育バウチャーも官僚と裁量と経済の歪みを増やすだけの不細工な政策に思えるけど、なんでこんなに人気があるのか不思議でしょうがない。官僚のキャンペーン(メディア操作)の成果なのだろうか。
塾やお稽古ごとに通わせられるバウチャーチケットを強制されるより、親の可処分所得を増やして親子の時間をサポートしてもらえる今の政策の方が何ぼかありがたいのだが。池田先生も所詮は教育産業の関係者ということか。

「負の所得税」は発想自体はいいけど、ベーシックインカムの方が効率的かつ合理的じゃないだろうか。

こうしてみて見ると、経済学的に正しい経済政策を考えるのは、それだけでかなり難しい作業のように思える。
posted by naotok at 23:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

未公開企業の持ち株会

未公開企業の持ち株会って利益をちゃんと配当に回すオーナー経営者の下では悪くないと思った。いろんな意味で。
仮に将来にわたって上場する気がなくてもいい。
株をどうやって調達するかが難しそうだけど。

残念ながら今の勤め先に持ち株会があるわけじゃない。

参考:未上場企業の従業員持株会(日興コーディアル証券)
http://www.nikko.co.jp/corporate/mnr/employee/index.html


関係ないけど今度の首相にも失言癖がある臭い。今の時点で選択肢を狭めてどうするんだ。
偽装献金問題の対応といい、まずいなぁ。。。

首相、グアム移転「無理がある」 普天間問題で認識示す(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/1226/TKY200912260330.html
posted by naotok at 21:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

遅ればせながらclimategate事件

COP15の直前である11月にclimategate事件と呼ばれる事件があったらしい。(事件そのものについてはググってください)
2009年11月にイギリスにあるイースト・アングリア大学の気候研究ユニット(CRU:Climate Research Unit)がクラッキングされ、一部のメールがインターネットで公開された事件だ。
この一部のメールというのが温暖化の研究者たちのもので、データ捏造などの不正や温暖化懐疑論者への圧力を示唆するものであり、COP15を前に温暖化交渉への政治的な影響を意図した事件と思われる。メールの事実性については争われていないようなので、メール自体は実在するものらしい。
幸いCOP15は温暖化そのものを懐疑する議論は盛り上がらなかったみたいなので、影響を受けずに済んだようだ。(といっても大した成果が上がらなかったのは周知のこと)

で、この事件で思ったのが、職業ハッカーっているんだな、ということだ。時期的に見て政治的な影響を狙った勢力が職業ハッカーに依頼して行ったのだろう。クラッキングに当たっては、データ捏造などの不正を知っていた内部者の協力があった可能性がある。
そもそも大学のセキュリティは緩く、学生が勝手にWebサーバーを構築できたりするのだろう。10年前のイメージなので今でも正しいか分からないが。内部に協力者がいれば侵入は容易だったはずだ。
10年以上の数千通に及ぶメールや文書から効果的なものをタイムリーに抜き出して公開する作業は、犯行グループの組織性を示唆する。

日本では温暖化懐疑論に寛容なので、「それ見たことか、温暖化なんて間違ってるんだ」というような議論があるようだ。
climategate(池田信夫blog)
科学史上最悪のスキャンダル?! "Climategate"(化学者のつぶやき)
後者は化学のPh.Dを持ってる(と自称する)人が書いてるようだけど本当だろうか。
ページの中で「図2 大気中のCO2濃度の年増分/世界平均気温偏差の年増分」という図を引用して「「地球の気候変動が大気中二酸化炭素の濃度変化を引き起こしている」が正しいのかもしれません。」と言っている。
ちょっと前の週刊ダイヤモンドの統計の読み方特集でも同じ図が引用されて似たような主張がされていた。(このデータは「統計」じゃないというのはあえてスルー)
このような主張は以下の文書のpp.32-34で明確に否定されている。
「地球温暖化懐疑論批判」
注意深く図を読めば分かるが、平均気温の増分がマイナスになっている期間でもCO2濃度の増分は常にプラスなのだから、上記主張は成立しない。
この図はCO2濃度を前年比で表示することで変化の長期成分が見えにくくし、平均海面水温変化に支配される成分が強調されるように処理された図だということだ。
詳細はリンク先にあるPDFを読まれたい。
(週刊ダイヤモンドの特集は「データを見て自分で考えろ」という内容だったが、「自分で考えて常識の逆を行ってみたらやっぱり自分が間違ってました」というとても恥ずかしいパターンを地で行ってしまったわけだ)

climate事件自体は一部の研究者のスキャンダルであって、温暖化の事象そのものを根底から覆すようなものではないと思う。


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posted by naotok at 01:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

経済成長の呪いもしくは経済成長という麻薬

民主党政権の政策批判の一類型として「経済成長のビジョンがない」というのが定着している。しかし、この批判は批判として成立しているかどうかについて考えてみる。

相当昔(多分20年くらい)の話だが、ニュースステーションで久米宏氏が「どんなに悪くなったって、日本の経済成長がマイナスになるわけはないんだから(そんなに深刻に考えなくていい)」といっていたのに対して酷く違和感を感じたことを今でも覚えている。
この発言には暗黙の前提として2つのことがある。「日本の経済は成長し続けて当然」と「経済成長がマイナスになるのは深刻な問題」ということだ。私はこれらの考え方は幻想に過ぎないと思っている。このような考えにそれほど正当性があるとは思えない。これらに捉われているのは呪いのように思える。

確かに戦後の日本社会は経済成長することによって多くの問題が解決されてきた。経済のパイが大きくなることで仕事のモチベーションは維持できた。頑張った者は報われ、引いては政情も安定した。
しかし、高度成長の時代は終わった。人口は、特に労働人口が減少を始めたことで生産力は低下する。ピラミッド型の社員分布を前提とした会社の人事体系は崩壊しつつあることで仕事のモチベーションも危機に瀕している。資本に国境が無くなったことで仕事はコストの安い海外に流出し、雇用が減少する。
経済成長は万能薬だったのだ。冒頭の民主党政権批判は「万能薬を寄こせ」と言っているのと同じだ。どうやら経済成長は常習性のある麻薬でもあったようだ。

そもそも、事業を効率化すると普通は労働分配率は下がる。
例を挙げよう。
1980年以降くらいに生まれた人は駅の改札は自動改札しかしらないだろうが、昔は駅員さん、つまり人間が改札に立って切符に鋏(はさみ)を入れたり、回収したり、運賃の清算もしていた。それも今の自動改札と同じか、若干早いくらいのスピードで。
有人改札は1970年ころから順次自動改札に置き換わっていった。
なぜか。
改札には人を置いておくよりも機械を置いておく方が経営効率が高かったからだ。平たく言えばの瞬時に運賃清算ができる熟練者の給料より機械の導入およびメンテナンスのコストの方が総合的に評価して安かったということだ。
自動改札の導入により人が削減されたかどうかは知らないが、改札業務という観点で見れば、人に払われていたお金が機械に払われるようになったということだ。これは労働分配率の低下に直結する。

このように機械化やIT化に代表される合理化は労働分配率の低下に繋がる。低下した分は株主配当と役員報酬に回される。「余剰人員は他の事業で活用できるから一概にそうとは言えない」という反論は詭弁である。他の事業で活用できないケースや、そもそも人が余っている場合の解決策にならない。しかし、会社が成長すれば、この詭弁で問題を解決することができた。
(実は、仮に「他の事業」で吸収したとしても、機械化がなければ「他の事業」の分の新たな雇用ができていたはずだ。その分だけ労働分配率は低下したと言えるので、本当は吸収できたかどうかは無関係だ。これがこの詭弁の本質である)

競争に負けないために、企業は絶えず合理化を進める必要がある。生産量が一定の条件下で合理化が進んで事業の効率が上がれば人員が余ってくるのは必然だ。余剰の人員を活用する他の事業がなければ余剰人員は経営の重しとなる。

このように、経済が成長しない社会で合理化が進めば、そこかしこで人員が余ってくる。これらの人も飯を食っていかなければならない。そこで、これらの人に分配するための仕組みとしてワークシェアリングとかベースインカムという考え方が出てきたのだろう。

経済成長という呪いもしくは麻薬を断って、今後の社会のありかたを考える時期に来ているのではないだろうか。
この立場から見ると冒頭の民主党政権批判は批判として成立しておらず、また筋が悪い。
逆に、新しい社会の基礎的な仕組みとしてベースインカムは効率的で非常に筋がいいと考える。
posted by naotok at 22:56| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

市橋容疑者報道の不思議

市橋容疑者が報道で一時ののりぴー扱いになっている。
しかし、被害者がイギリス人とはいえ、2年も経ってから突然瞬間湯沸かし器のように報道が盛り上がって、連日情報が小出しにされ、程なく今日逮捕に至った。

逮捕目前に迫っていたから情報を小出しにして報道を盛り上げ、盛り上がったところで逮捕したのだろうか。
警察の功績をアピールするために?

のりぴーのときの押尾学側の政治家絡み話のように、何か世間の注目をそらしたい事件があったんだろうか。
鳩山首相の故人献金問題?
沖縄轢き逃げ事件?

気味が悪い。

参考記事
黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」
市橋達也報道の気味の悪さ
posted by naotok at 21:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

「女」報道への違和感

(最初に断っておくが、本記事では詐欺事件で起訴されている被告の女性について擁護することを目的としていない)

結婚詐欺で逮捕起訴されている34歳の女性に関する報道が連日新聞などのメディアを騒がせている。たしかにワイドショー的に下世話な興味を引くネタなのだが、ひどく違和感を感じている。
違和感の原因は二つ。

1. 報道での呼称が「女」であること。
詐欺罪について起訴はされていて、被告は詐欺について容疑を認めているとのことではあるが、「○○被告」が通常の呼称だ。実名を出せない事情があるなら「女性」とすべきで、「女」という表現は蔑むニュアンスがあり不適切だ。

2. 情報が小出しに出てくること。
「遺書がなかった」「車の鍵がなかった」「練炭の着火器具がなかった」「女性の指紋がなかった」といった情報が毎日少しずつ出てくるが、練炭での不審死は8月6日の事件である。現場検証した時点で捜査当局は全て分かっていたはずの情報だ。情報源には、情報を小出しにすることで毎日の新聞ネタを提供し、世論の関心をあおる意図があるのではないか。情報源というのはもちろん捜査当局だ。


呼称の原因は報道の中心が不審死であることだろう。特にテレビの報道を見ると、「女性が殺害した以外に考えられない」と言わんばかりの編成をされているが、女性が逮捕起訴されている容疑は詐欺罪だけであり殺人罪の容疑は公式にかけられていない。公式に追及されない容疑について実名報道をすると名誉毀損に問われる可能性があるのだろう。

仮に殺人罪で追起訴されることになった場合、この事件は裁判員裁判の対象になるはずだ。それも死刑を争う重大な裁判となるはずだ。犯罪性のない経歴まで丸裸にし、不審死を女性の行為と決め付けるような過剰な報道姿勢は裁判員に予断を与えるおそれがあり問題だと思う。

そもそも、報道されている事実が明らかになっているにもかかわらず殺人罪で起訴しなかったのは、公判で殺人罪を立証するだけの証拠が足りないからなのだろう。

なので、この小出し情報による連日の報道合戦は、殺人罪を立憲できなかった検察当局による当てこすりか、それとも裁判員裁判を見据えた世論の印象操作なのか、どちらかなのだと思う。
いずれにせよ、検察および警察の捜査能力に疑問を感じさせる事件だと思う。証拠が足りないとしても、公判で勝ち目が薄いとしても、これだけの疑いがあれば正々堂々と立件するのが正義なのではないだろうか。
posted by naotok at 19:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

「拘束されていても公共の福祉を害する可能性があるなら死刑もやむをえない」とする論理の危うさ

(10/3 タイトルの誤記修正)
始めに断っておくが、「刑務所で拘束されていても公共の福祉を害する可能性があるかどうかで死刑適用を判断すること」が受け容れられるという主張はおそらく一般的ではない。
それにも関わらずここでこの主張について取り上げるのは、この考え方の危うさについてこのコメントで指摘しただけでは伝われないおそれがあるためだ。

「(刑務所で)拘束されていても公共の福祉を害する可能性がある」という状況は具体的な例示がないので推測するしかないが、刑務所にいても外部の者に対して影響力を行使しうる場合だけだろう。組織性やカリスマ性などの特殊な要因が絡まないと実現しない状況だろうが、組織性にせよカリスマ性にせよ(そして恐らく他の要因にせよ)犯罪自体を法的に構成するものではないだろう。であるとすれば、そのようなものを量刑の考慮に含めて良いものだろうか。しかも収監後の状態を裁判の時点で予測して量刑に加味することになるが、これは非現実的である。
死刑執行の判断要素としてこれらの要素を考えるとしても、それはつまり行政の気に入るように行儀よくしてないと行政の判断で死刑にしてよいということだ。これでは、検察や裁判所ではなく行政に生殺与奪の権利が一任されてしまっている。

当たり前のことだが、刑罰は起訴されて裁判にかけられた過去の犯罪行為と法律を根拠として課されるものである。
犯罪行為や犯罪に至る過程以外に、その人の属性によって量刑が判断されるとしたら受け容れられるものだろうか。少年などのように法律で合理的に保護の対象となっている者の話ではない。男性と女性、サラリーマン、経営者、政治家、主婦、ヤクザ、チンピラ、革命家、アナーキストなどの属性によって量刑が違ってよいのか。

もし違ってもよいなら、そして拘束されても公共の福祉を害し得るなら死刑も認められるなら、サラリーマンや政治家が殺人を犯しても無期懲役で、革命家が殺人を犯すと死刑ということだ。
極論すれば、政治家のスピード違反は無罪放免で、革命家のスピード違反は死刑でもよいことになる。

司法も行政も誤るものだから、こんな大きな裁量を与えるのは危険として、今の刑事裁判制度があるのではなかったか。
posted by naotok at 01:52| 東京 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

死刑は純粋に罰として捉えるべきだ

デミウルゴスの轡銜(ヒカン)の方で行った議論を受けて、自分の立場をもう一度整理したいと思う。

あちらでの議論の中で、死刑廃止論というのは、論者によっては極刑としての死刑を廃止することに拘らないということが分かった。ここでは、そのような立場の論者を極刑としての死刑廃止を主張する立場と区別して、「死刑廃止」論と記述することとする。

「死刑廃止」論では外患誘致罪などの極端に例外的な犯罪に関して死刑が設定されているのは容認されるということである。現行の外患誘致罪の法定刑は死刑のみだが仮にこの犯罪が発生した場合に死刑判決が下されて死刑が執行される場合、「死刑廃止」論者はどのような対応を取るのか興味があるところだ。当然、死刑執行を是認しなければ立場が一貫しない。

このように「死刑廃止」論は生命権の不可侵性の主張を放棄しているといえる。つまり、「殺人罪などの比較的よく発生する類の犯罪の量刑として死刑は過酷過ぎる」という主張と等価である。
これは一つの立場として尊重されるべきであり、このような価値観が普及することにより民主的なプロセスを動かして、殺人罪などの法定刑が軽減されたり死刑執行を停止する法律ができることについて、個人的に反対ではあるが異論はない。

しかし、「死刑廃止」論の立場は安田弁護士の『死刑を認めると、この国の人権や生命は、最悪の場合は奪われてしまう程度のものであることを認めることになる』という批判に背を向けている。以前に書いたように死刑の存廃の分水嶺は安田弁護士が指摘するこの部分であると私は思う。

実のところ、私も死刑廃止の方が正しいのではないかという気がしないでもない。諸外国、特にOECD各国の動向を見ると、何か確固たる理由があって進められていると考えるのが自然だからだ。しかし、その「何か」が何であるかを得ることができなかったので、私は死刑存置の立場を継続せざるを得ない。

また、私の立場としては厳罰化の方向ではあるが、死刑が絶対に必要だと考えているわけではない。例えば死刑廃止がEUのようなものに加盟するための条件になっており、それにより国益が期待できるなら、(筋が通らない思いは残るだろうが)功利的な視点から死刑廃止にも賛成すると思う。


私の立場では、犯人が憎いから殺すのではなく、償いとして殺すのではなく、価値がないから殺すのではなく、社会にとって有害であるから殺すのではなく、ただ単に罰として殺すのである。

遺族は犯人が死刑になれば幾許かの達成感を得られるかもしれないが、行き先を失った憎しみが残るだろうし、悲しみが癒えるわけでもないだろう。
償うというのは原状回復の概念だが、殺人罪で原状回復を考えても意味がない。
人間の価値を評価するようなことを書いている判決もあるだろうが、あれは不遜だと考える。

単に罰であり、報いである。また、やり得を許さない、反社会行為を決して許さないという社会の強い意思の表示であるべきだと考える。

「報復感情を少しでも満たすために死刑が必要」といった報復感情の議論はおかしいと考えている。そういう意味で私は死刑存置論者としては少数派であるかもしれない。
報復感情を満たすことを刑罰の(効果ではなく)目的として認めてしまうと、遺族のいない殺人事件の犯人を処罰する根拠を失ってしまう。また、遺族の人数に応じて量刑を考慮しなければならないことになる。刑罰に報復感情をある程度満たす効果はあるだろうが、そもそも報復感情を充足することはできない。

そもそも刑罰は第一義的には犯罪を抑止するためにあると自分は考える。例えば事故に至っていない交通違反に被害者は存在しないので報復感情は存在しないが、事故を未然に防止するためにも罰は必要だ。
#通常の交通違反は行政罰で処理されるが、ゴネて裁判に行くと行政罰と量的に同等の刑事罰が受けられる。

刑罰が抑止力を発揮するためには、犯罪を犯すと0でない確率で法定の罰を受け、犯罪により得られる利益は(確率を考慮しても)罰のリスクに見合わないと犯罪者が確信する必要がある。

冤罪の問題は死刑に限ったことではない(菅家さんの名誉は回復したが、原状回復したといえるのか)が、それでもやはり死刑の最大の問題は冤罪であると思う。
冤罪の可能性については、再審請求がされている事件については死刑を執行しないというような運用の変更をすればいいと思う。当然、法改正は必要だ。ほとんどの死刑が形骸化するかもしれず、それによって罪刑法定主義の理念に反すると批判されるかもしれない。それでも無罪の可能性のある人を処刑するよりはよいと考える。これは事実上の「終身死刑」の創設である。また、財政面を考慮して、再審請求中の受刑者は懲役を行うべきだろう。
ここでは一度議論になったが、罪を認め、死刑を受け入れたものが死刑を執行されることに対する具体的な異議は受けていない。
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2009年09月16日

「休暇」

videonews.comのこの記事↓で話題になっている「休暇」という映画を観た。この記事は「5金」なので会員でなくても無料で観られる。

なぜ日本人は死刑が好きなのか
http://www.videonews.com/on-demand/0371371380/000777.php

マル激の二人(神保さんと宮台さん)は死刑廃止論者だ。観たビデオの中ではなぜ死刑を廃止すべきだと考えているかハッキリとは言っていなかったが、「先進国は死刑を廃止して当たり前」というくらいには考えていると読み取れた。

「休暇」は二人が絶賛していた映画なので、死刑廃止に偏ったテーマかもしれないと思っていた(失礼)が、その点に関しては全く問題はなく、中立の立場で客観的にドラマを描いていた。
ずっしりと重い。一度観ただけでは消化しきれない。

簡単にさわりだけを紹介しておこう。
3年ぶりに死刑の執行をすることになった刑務官たちを中心にしたドラマ。受刑者の罪状についてはほとんど描かれないが、性格や生活についてはじっくりと描写される。主人公は刑務官の一人で、刑の執行に当たり一つの決断をするが、これがタイトルの「休暇」に関連する。
そして刑が執行される。
刑の執行の描写は生々しく、死刑存置派である自分の胸にも重く響いている。

レンタルなので、返却するまでにもう一度観たいと思っている。
演技が素晴らしくて、映画としては間違いなく面白い。社会的な問題に関心を持てる人には自信を持ってお勧めできる映画だ。

http://www.discas.net/netdvd/goodsDetail.do?pT=0&titleID=1148631689
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2009年08月25日

最高裁裁判官国民審査の投票の仕方

来る8月30日に衆議院選挙と同時に最高裁裁判官国民審査が行われる。
衆議院選挙の陰に隠れて影が薄くなりがちだけど、これも司法のガバナンス(シビリアンコントロール)の観点で重要な行事だ。

この国民審査において、最低の行動は判断せずに白票を投じることだ。白票は無効票ではなく、「いずれの裁判官も適切である」と承認した意味になってしまう。
国民審査広報を読むといった最低限の情報収集をして判断する時間がないなら、国民審査の投票は棄権した方がマシだ。もしくは、国民審査制度の不備を批判する意味を込めて、全ての裁判官に×を付けるのがよいと思う。

副島氏は、竹崎博允氏、那須弘平氏、近藤崇晴氏、竹内行夫氏の4人に×を着けることを推奨している。

「1060」 来たる8月30日の衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で、「4人の最高裁裁判官に×(バツ)を与える国民運動」を行うことを提案します。副島隆彦 2009.8.10
http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi?start=1&pass=
(このURLは静的でなさそうなので、いずれ内容が変わってしまうと思われる)

また、時間のある人は以下のサイトを確認されるのがよい。審査対象の判事の経歴や代表的な判決および意見の履歴が整理されていて有用なサイトだ。

忘れられた1票
http://miso.txt-nifty.com/shinsa/

手間をなるべく省きたいなら「忘れられた1票」の中から以下のページだけ読めばいい。

国民審査の×ガイド
http://miso.txt-nifty.com/shinsa/xxx.html

ちなみに自分は以下の裁判官に×をつける予定だ。

櫻井龍子 (御殿場事件に有罪判決を出したため)
竹内行夫 (鈴木宗男事件当時に外務省側で関与のため)
涌井紀夫 (一票の格差を放置する立法の不作為を適法と追認したため)
那須弘平 (佐藤優事件で上告を棄却したため)
竹崎博允 (国策に忠実なヒラメ裁判官であるため)
近藤崇晴 (植草事件で上告を棄却したため)

9人中6人になった。マークをつけない田原、金築、宮川を覚えていった方が簡単だ。
ちなみに国民審査広報では櫻井氏の御殿場事件判決、那須氏の佐藤優事件判決、近藤氏の植草事件判決について記載されていない。いずれも冤罪の疑いが強く、また後の2件は国策で作られた事件である疑いがある。これらは審査のうえで重要な案件であるので広報されてしかるべきだ。
これらが記載されていない理由は、国民審査広報を作るのもまた役人ということなのだろう。信用してはいけない。
posted by naotok at 23:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

陰謀論の罠の罠

(この記事は「陰謀論との付き合い方」および「「陰謀論との付き合い方」の補足」の補足記事です)

「陰謀論の罠」という本を読んだ、と言っても、興味のあるトピックについてどのように書かれているかを拾い読みした程度だが。
この本は911の陰謀論を論破するべく2007年4月に出版されたものだ。読んでみると一つ一つ丁寧に論破しているかのように見える。
ただし、残念なことに「陰謀論者」が主張する公式発表の矛盾の中で、核心に触れるものについてはスルーされている。自分がそのように考えたのは、WTCが倒壊した理由、およびペンタゴンに突入した物体に関してだ。

WTCが倒壊した理由について、周辺的なことにはいくつか触れられている。例えば、WTCを発破で破壊するために必要な爆薬量や作業量は膨大すぎて現実的ではないといった主張である。
しかし、WTCの倒壊において核心となるのは、航空機燃料で発生する熱量では鉄骨の強度が低下しないことだ。鉄骨の強度が低下しなくてもノンストップで倒壊するというのであれば、そのプロセスについて説明して欲しかったが、これについては触れられていない。

ペンタゴンに突入した物体については、旅客機が機首を水平にしたまま、地表2メートルくらいの高さで水平飛行をして突入したとされている(高度は収録されている合成写真より推定)。
旅客機は離陸時も着陸時も地表近くでは機首を上げてバランスを取っている。素人考えだが、2mというほぼ地表といえる高度で機首をあげずに地面に接触もせずに水平飛行できるものだろうか。甚だ疑問だ。なお、これはloose changeでも疑問視されていたと思う。
(胴体着陸の姿勢に近いのだと思うが、あれは「着陸」であって、こっちは「水平飛行」だ)


この本は途中で「陰謀論を論破した○×という本(アメリカで出版された陰謀論論破本)は論破しやすい一部の問題だけ論破したと非難されているが、そんなことはない。主要な問題は全て論破している」といった主張をしているくだりがあるが、こういう口先論破の問題がこの本にもあるのは皮肉で格好が悪い。
また、頻繁に日本語の単語の直後に同じ意味の英語が併記されているかなり変わった記法を採用されているが、日本語もしくは和訳能力に自信がないのだろうか。訳としては問題がなかったので自信がないわけじゃないのだと思うが、なぜ奇妙な記法によって信頼性を自ら損なうようなことをしているのか疑問に感じた。

posted by naotok at 23:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

死刑排除へのロジック構築の試み(ただし失敗)

どうもデミウルゴスの轡銜の方では期待した議論ができそうにありませんので、一方的ですがここで一旦クロージングをしたいと思います。

期待していた議論とはなぜ生命権だけが特別扱いにできるか、ということです。
その他の問題は突き詰めれば運用の問題に過ぎなかったり、主観的な価値観に大きく依存したり、流行がどうのという話であったりして議論に値しないと考えています。しかし、生命権を特別視する合理的な理由があるなら、私自身は死刑撤廃に傾くと予想していて、それを期待してもいました。

突き詰めて考えたことはもちろんあるのですが、どうしても生命権の特別視に至ることができませんでした。おおまかに考察の流れを紹介します。

一般予防の効果でつきつめて考えていくと、江戸時代の「御家断絶」や「打ち首獄門」の方が効果が高いことになります。(学術的にどう位置付けられているかは知りませんが)これらは「個人主義」および「裁判制度の維持および保証」を考えると排除できるでしょう。
簡単に言えば、「個人主義」とは親兄弟子供といえどその行動に完全な制限をかけることはできないので、刑事責任について個人は独立していると見做し、犯罪そのものに関わっていなければ親兄弟子供といえど連帯責任は問わないということです。
「裁判制度の維持および保証」というのは、刑罰があまりに苛酷すぎると裁判を受けて死刑になるよりも自害した方が合理的な状況が発生するため、裁判を受ける権利が実質的に毀損され、該当する事件において裁判制度が形骸化するということです。場合によっては、真実は無罪であっても裁判で苛酷すぎる判決を受ける可能性があるだけで先に自害した方が合理的選択になることもありえます。
しかし、これらの概念では生命権を特別視したり死刑を排除したりできそうにありません。

しかし、議論をこの先に進めて国家の行為として殺人を全面的に認めないという立場を構成しようとすると、深刻な困難が発生します。

まず、外敵の侵入に対して「殺さず」を貫けるかという問題があります。まあ、軍事行為は度外視してもいいかもしれません。

次に凶悪犯罪(空港で機関銃を乱射して人質をとってたてこもる、ハイジャックして原発に突入するなど)への対応を考えます。状況を収束させるためにこれらの犯罪者を殺害する場合、狙撃や撃墜を行うケースでは殺害行為を行うもの自身には生命の危険が及ばないため、通常の正当防衛は適用できないでしょう。
では、正当防衛の範囲を拡大して考えてもいいものでしょうか。社会に対する脅威を排除するためにこれらの凶悪犯を裁判という過程を経ずに殺害することは、正当防衛の延長上にあり国家の行為として認められると。

死刑反対の立場ではこれを認めてしまうことは非常に危険です。死刑による一般予防効果も凶悪犯罪に対する正当防衛の一形式であると見做せてしまうからです。
とはいえ、やはり上記のような凶悪犯罪に対して犯人を「殺さず」の姿勢を貫こうとすれば、より多くの善良な一般市民が犠牲となるでしょう。

やはり、犯罪者を法に定められた形式で殺害することは国家の行為として認めざるを得ないでしょう。となれば、このロジックでは死刑は排除できなかったことになります。

意外と「裁判を受ける権利」の保護の視点から死刑を排除するロジックを生みだせるかもしれませんが、微妙な感じがします。あまり期待できないので、ここではこれ以上の展開は止めておきます。


これまでの議論により、死刑制度を排除する合理的な理由はなく、存置すべき(せざるを得ない)と考えます。

(この記事のコメントは承認後に表示の設定です。
記事の内容としては「構築を試みて失敗した」ということを報告しているだけでしかないので、「こうすれば構築できる」といったような話はここのコメント欄ではなく他のところでしていただいた方がふさわしいでしょう)
posted by naotok at 22:46| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

百叩きの刑はありやなしや

こちらのブログの方からトラバをいただいたので、コメントさせていただいたところ、興味深い問題提起をいただいた。それが表題の問題だ。長文になることと、結果的に荒しになることを避けるために、あちらのコメント欄でこれ以上の議論を展開せず、こちらで書くことにした。

結論から言えば、「身体刑(百叩きの刑(※))はありであるが不要である」というのが私の主張である。
根拠は以下の3点である。
1. 一般予防という観点では身体刑にも犯罪抑止効果はあると推定される。
2. 身体刑は他の刑罰(罰金刑、禁固刑、懲役刑、死刑)で代替可能である。
3. 身体刑より他の刑罰の方が優れている。

1の主張については議論は不要であろう。誰だって叩かれるのは嫌だ。だから「あり」なのである。

2について、百叩き程度(※)の刑罰であれば、予防効果は罰金刑と禁固刑の間あたりにあると考えられるかもしれない。高額の罰金刑(現行法でいくらかは知らないが、ここで議論しているのは現行法の問題ではない)と数ヶ月程度の禁固刑は刑罰として同等もしくは前者の方が予防効果が高い。つまり、予防効果という観点で現行の刑罰体系には連続性がある。よって、身体刑は現行刑罰で代替可能である。

3であるが、身体刑は罰金刑と同じく早期に社会復帰できるが、後遺症が残る可能性、身体特性による罰としての効果の不公平性という点で劣る。このように明らかに劣る刑罰は不要である。

よく言われる「身体刑は野蛮である」といった議論は、論点や問題点や基準が主観的であるので、私は与(くみ)しない。個人的には寿命まで終了する見込みの全くないほど長期の懲役刑より死刑の方が人道的だと感じる。(もちろん、この感覚は主観的なものだから、違うように感じる人がいても問題ない)

なお、死刑に関してだが、死刑は終身刑や懲役刑では代替できないため、身体刑とは異なる。


(補足)
この記事は「百叩きの刑」が身体刑であることを前提として記述しました。
「百叩きの刑」が執行中に受刑者が絶命することを前提としている場合(つまり絞首刑の上位刑罰として百叩きの刑を想定する場合)は全く別の議論になります。
posted by naotok at 11:48| 東京 🌁| Comment(16) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

ヱヴァ破観てきました

今日はヱヴァ破の公開日だったのだが、たまたま都合がよかったので観てきた。
席は前の方の端っこでしかも10分遅刻で入ったという最悪のコンディションだったけど、200%満足した。

ストーリーはテレビ版をベースにしつつも大きく変更が加えられている。使途の見た目や動きは前作のラミエルのように関連性はあるがまったく別物といえる進化を遂げている。
アニメらしいご都合主義的な展開(いわゆる「中二病」)をするので、写実的なストーリーしか好まないような人には受け入れがたいだろうが、自分は映像の表現力に圧倒されっぱなしだった。
あまりにもすごいので、実は3回くらい涙が止まらなくなった。

ストーリーもテレビ版よりも各キャラクターの感情が分かりやすく表現されるようになっている。それと、テレビ版でできなかったことをリベンジするかのようなストーリーもぐっとくるものがあった。

絶対、もう一回以上は観にいく。
中二病アレルギーがないなら、映画館で見る価値は絶対あると思う。
でも、T4もみたいんだよな・・・
posted by naotok at 00:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

死刑の犯罪抑止力 - ii 統計データによる検証が不可能であること

犯罪抑止力の考察をする際、統計的に実証するデータがあるか、もしくは反証するデータがあるのではないかということを考える必要があります。

データについて特に調べてはいませんが、以下の考察から実証するデータも反証するデータも存在しないと主張します。

1. 死刑がある社会とない社会における、極刑が該当しうる犯罪(殺人罪、放火罪など)の発生率を比較する必要がある。
2. 極刑が該当しうる犯罪は極めて少なく、同じ国で同じ制度の下でも時代の変遷で有意に変化しうる。
3. ましてや、文化や法体系の異なる多国間で死刑の存否だけで凶悪犯罪発生率を比較することには意味がない。
4. 死刑を廃止した国の死刑廃止前後の凶悪犯罪発生率の推移が考えうる有効性の高いデータだが、有意なデータは出ていない。

3と4の補足:アムネスティのレポートによると、死刑廃止国と死刑存置国との比較において、死刑存置国の犯罪発生率が低いとは言えず、また死刑廃止国における廃止前後の犯罪発生状況に変化が見られないらしい。

以上から言えるのは、以下の2点。
5. 死刑の犯罪抑止力は統計データに有意に現れるほどのものではない。
6. 統計データは死刑の犯罪抑止力の評価において中立であり、言い換えれば無力である。

死刑の犯罪抑止力 - i 思考実験による検証での思考実験によれば死刑には犯罪抑止力があるが、上記5のように統計データに現れるほどのものではない。しかし、これは抑止力を否定するものではなく、上記6のように中立とみなすべきである。
よって、死刑制度には犯罪抑止力があると考える。



余談ながら、
posted by naotok at 22:35| 東京 ☔| Comment(11) | TrackBack(1) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

東京五輪招致の支持率おかしくない?

東京五輪の支持率はIOC調べだと56%だったらしい。
ちなみに私は東京五輪反対派である。

IOC調査の支持率56% 16年夏季五輪の東京開催
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009050201000273.html

この記事によると、以下のような推移らしい。

調査時期調査者支持率
2008年6月IOC59%
2009年1月招致委員会70%
2009年2月IOC56%


これを見ると、IOCの調査結果は2回とも大してぶれていないのに、招致委員会(東京都の委員会なんだと思う)の調査だけ10%も高い数字が出ている。結果だけをみると、意図的な誘導や操作などによって作られた数字ではないかという疑うのが自然だろう。

(以下は元記事だが、中立の立場を保ちつつ、招致委員会の数字の怪しさが目立つように書かれている)

東京など4都市が争う2016年夏季五輪招致で、国際オリンピック委員会(IOC)が2月に行った東京に対する世論調査の結果、開催支持率が56%だったことが2日、招致関係者の話で分かった。IOCはシカゴ、マドリード、リオデジャネイロとともに支持率を評価報告書に記載する。

 IOCは2月の同じ日、4都市に同じ設問で住民への独自調査を実施。評価委員会の現地調査の際に各都市に結果を伝えており、東京には4月16日から19日までの調査の間に石原慎太郎都知事らに伝えた。

 昨年6月、IOCが7都市から4都市に絞り込んだ1次選考での調査で東京は59%で、選ばれた4都市で最も低かった。東京の招致委員会がことし1月に実施した調査では全国で70・2%、都内で68・6%だった。評価委は、開催地を決める10月2日のIOC総会(コペンハーゲン)の1カ月前までに、評価報告書を公表する。
posted by naotok at 23:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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